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ベルツ誕生の物語 since1989

f0188657_1244642.jpgベルツを運営している峩々温泉は開湯150年。
私、竹内宏之で六代目になります。

ベルツは私が中学1年生の時にオープンしたお店です。
ですから、レストランは二代目になります。
この店のオープンには様々な人のご支援がありました。
当初は人が集まらず、私自身も学校を休んで手伝ったりもしてました。
だから沢山の思い出が詰まっています。

f0188657_137105.jpgさて、誕生秘話とまではいきませんが、ベルツができるまでの物語をぜひ知って下さい。
名前の由来?なぜソーセージなのか?峩々とドイツを結ぶもの?
ベルツの「へぇ~」をご紹介したいと思います。




Q.飲食店を始めるきっかけ?
A.最初は全くやる気無し!ただ冬季間使用できる駐車場が欲しかっただけ


f0188657_11471540.jpg峩々の冬は厳しいです。現在は除雪技術の向上で、雪道も比較的安全に走れるようになりました。しかし、当時は蔵王のエコーラインと言ったら難所中の難所。
遠刈田温泉に駐車場を借り、そこへお客様の自家用車を停めてもらい、そこから送迎バスで送り迎えをしておりました。
最初は駐車場用の土地を確保できれば、それで良かったのですが・・・。
町の計画が義務付けられた場所で「観光客や住民に寄与する飲食店」でなくてはならないとありました。当初は簡単な喫茶店でもやろうと思っていたらしいのですが、ある人物の登場で話しが急展開します。



Q.なぜ蔵王でソーセージのレストラン?
A.療養温泉先進地ツアーで出会った1本のソーセージ


f0188657_14235835.jpg草津温泉に様々なクア施設を作り、ヨーロッパ型の滞在や湯治を定着させ、ペンションという業態を日本に広めた人。日本温泉史に欠かせない人物が中澤晁三先生です。
1975年、この時代は大型旅館が乱立し、バスなどで行く「パック旅行」「団体旅行」がちょっとしたブームでした。峩々も連日観光バスが何台も乗り入れるような賑わいでした。
お客はだまっててもドンドン来る。旅行代理店や関係者はもっと客室を作ってくれと言う。
旅館の行く末など考えるヒマも無く、ただ右から左にお客様をさばいている毎日です。周辺の旅館は増築をはじめました。巨大化した旅館は源泉では足りず、加水・加温・循環を始めました。でも、旅の目的が「宴会」であれば泉質にこだわる必要がありません。入浴方法などにおいても当時のマーケットが理解を示さなかった時代です。しかし、中澤先生は療養温泉のあり方を説き、先進地であるドイツへの視察ツアーを企画しました。湯治宿として代々旅館を守ってきた父はある疑問を抱いていました。本当の峩々温泉のありかたはこれで良いのか?そう考えていた矢先でしたので、ドイツ行きはすぐに決まりました。
今だから笑えますが、当時の2人分のツアー代金を捻出するために借金をしたそうです。
「旅行に行くからお金貸して下さい」と言って貸す金融機関は絶対にありません。どのようにして借りたかは恐ろしくて聞いてませんが、それだけ両親はこのツアーに賭けていたことだけは確かだと思います。f0188657_1415898.jpg
生まれたばかりの私を母の実家である白石市に置き、両親はヨーロッパへ。

後に私も中澤先生のもとで温泉研究や、テルメテルメでの研修などでお世話になりました。そう考えると親子二代にわたって勉強をさせて頂いた恩師なのですね。


1ドル360円の頃ですから、コーヒー1杯飲むにも「庶民」には大変なのです。
ただでさえ少ない旅のお小遣いが2週間の滞在でついに底をつきました。
観光らしい観光もせず、ショッピングも何もしないで過ごしたヨーロッパの日々。
最後くらいドイツらしいものを食べようとポケットのコインをあさったそうです。
コーヒースタンドのソーセージを1本買い、2人で半分づつ食べました。
その時、数十年後にソーセージのお店を出すなどと夢にも思わなかったでしょう。



Q.ソーセージ作りはどうやって習得したのでしょう?
A.仙台の伝説的なシェフ ムッシュ石井のおかげです


f0188657_14191833.jpg仙台でフレンチレストランを営んでいた石井シェフ。若い頃は東京やヨーロッパ諸国で修行の旅をして過ごしました。大きな組織に属す事を嫌い、好条件のホテルを次々と断り、仙台に小さなレストランを経営していました。その店の常連だった私の父が彼をスカウトし、共に店作りを始める。シェフの夢は田舎でソーセージレストランをする事。かつてヨーロッパ滞在中にハムやソーセージ作りのノウハウを習得していました。ある夜、シェフの店でその話を聞き、両親は以前空港で食べたソーセージを思い出します。

自分の店をたたみ、蔵王に住む事を決めていたシェフはオープンまもなく帰らぬ人になってしまいました。あまりにも突然の死に誰もが言葉を失いました。中学校1年生の私にフレンチとサービスの基礎を教えてくれた石井シェフ。今は私の心の中にいます。最後の最後までフライパンを握り、現場に立ち続けたシェフの思いを受け継いでいかなければと思っています。



Q.名前の由来?
A.温泉医学博士「ドクター・ベルツ」
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エルヴィン・フォン・ベルツ (1849年1月13日 - 1913年8月31日)は、ドイツの医師で、お雇い外国人として日本に招かれ、27年にわたって医学を教え、医学界の発展に尽くした。
また、草津・箱根を湯泉治療地として開発した。1905年には旭日大綬章を受賞。

1876年、お雇い外国人として現東京大学医学部教師に招かれる。
1881年、東海道御油宿戸田屋のハナと結婚。
1902年、東京大学退官、宮内省侍医を勤める。

草津温泉を再発見、世界に紹介した人物でもある。
1878年頃より草津温泉を訪れるようになり、「草津には無比の温泉以外に、日本で最上の山の空気と、全く理想的な飲料水がある。 もしこんな土地がヨーロッパにあったとしたら、カルロヴィ・ヴァリ(チェコにある温泉)よりも賑わうことだろう」と評価する。

1890年、草津に約6000坪の土地と温泉を購入、温泉保養地づくりをめざす。
1896年、草津の時間湯を研究した論文『熱水浴療論』が『ドイツ内科学書』に収蔵される。 2000年、草津町では、町制施行100周年を記念して、ベルツ記念館を開設。
(出典:Wikipedia)
ベルツ博士は大変な健脚で噴火直後の草津白根山にも登頂したことがあり、その際の手記は現在でも貴重な火山学的資料になっている。
また日本の古美術にも造詣が深い。詳しくは「峩々温泉 六代目のひとりごと」で。
療養温泉を営んでいる旅館が経営するソーセージレストラン。
もう店名は「ベルツ」しかない!そう考えたのだと思います。
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by baeltz1989 | 2008-09-21 14:58 | SINCE 1989